37歳、焦りの中の転職活動
司書を辞めると決めてからの行動は早かった。
その夜のうちに、隣の県の学校図書館に応募するための、書きかけの履歴書を処分した。
仕事のために作りためてきた資料のデータも、まとめて削除した。
それから、ハローワークのホームページを開いた。
求人票を検索して目に留まった営業事務の求人にエントリーし、履歴書と職務経歴書を作って、その夜のうちに投函した。
紙袋と紙芝居の舞台
翌日、図書館や図書館学、読書、郷土に関する本を、大きな紙袋に詰めた。
その日の夜、紙袋と紙芝居の舞台を、職場で尊敬していた先輩に譲った。
託した、と言ってもいいかもしれない。
譲った以上、どう扱われても、捨てられても構わない。
それでも、あの人なら無下にはせず、きっと役立ててくれると今も思っている。
面接でのことを話すと、先輩はひとしきり憤ってくれた。
それから悲痛な表情で、「本当に辞めてしまうの?」と言った。
私の決心が変わらないとわかると、先輩はこう言った。
「このまま司書を続けても、経済的な不安も雇用も、きっと改善されない。転職できるうちに転職した方がいい。私はもうすぐ五十歳になる。いまさら他の仕事ができるとも思えない。定年までこのまま働く」
そして、「でも、いつでも戻ってきてほしい。待ってるから」とも言われた。
その先輩とはそれきり、今日まで会っていない。
「もったいない」
営業事務の求人は、面接まで進んだ。
面接官の女性は、私の資格や経歴を見ながら、何度も「もったいない」と言った。
電話を取ったり、クレームを受けたりすることもありますよ、と。
ああ、司書の仕事は本当に知られていないのだな、と思った。
結果は不採用だった。
だろうな、と思った。
貯金は0円だった
不採用がわかると、すぐに次の求人を探した。
まだ一社しか受けていないのに、何社も落とされたようなショックを受けていた。
焦りが生まれていた。
貯金がなかった。0円だった。
生活防衛費もなく、実家ではなく賃貸で暮らしていた。
今思えば、冷静でいられるわけがなかった。
応募先の会社を入念に調べたわけでも、書類や面接の準備をしたわけでもない。
自分が望む条件もわからないまま、給与の額と、正社員かどうかだけを見ていた。
求人票の見方も、ろくにわかっていなかった。
短大を出て最初の勤め先はすぐに決まり、その後も図書館の仕事しか受けたことがなかった。
これまでの棚卸しも自己分析もしないまま、ただ求人を検索して、出てきたものに応募していただけだった。
三十七歳で異業種に移る厳しさを、私は痛感した。
こんなことを五十回も百回も繰り返していた就職氷河期の世代は、本当に辛かっただろうと思った。
引き換えにするもの
好きな仕事だったから、非正規でもよかった。
好きではない仕事なら、もう非正規は絶対に嫌だった。
司書を辞めるのに見合う、自分で納得のいく結果が欲しかったのだと思う。
そうでなければ、後から後悔する気がしていた。
大好きだった司書と、引き換えにするに値する何か。
私はそれを求めていたのかもしれない。
その一方で、司書でないなら何の仕事をしても同じだ、とも思っていた。
持っているものから選んだ
二社目に応募したのは、児童発達支援・放課後等デイサービスだった。
中学校の教員免許があれば、支援員として働けるという。
小学校で働いた経験も、図書館で児童担当だった経験もある。
資格も経歴も経験も、とにかく自分が持っているものを活かしたかった。
これまでが無駄ではなかったと思いたかったし、今までの自分を次の仕事につなぎたかった。
けれど私が選べたのは、今持っているものと、今の自分が想像できるものの中からだけだった。
そこからしか、選べなかった。
子ども関係の仕事だから、向いているのではないかと思った。
今思えば、浅い考えだった。
三月の初め
結果は採用だった。
社長がとても気に入ってくれて、ぜひ来てほしいと言われた。
三月の初めのことだったと思う。
ほっとした。
四月からの仕事がある。
それだけで、ひとまず安心していた。
ドキドキもわくわくもなく、ただただ緊張していた。
それでも、司書を辞めると選べたことに、私は何よりほっとしていた。
まさか一か月で辞めることになるとは、このときは思いもしなかった。
