転職と仕事

38歳、二つ目の好きな仕事

ビュレットの赤紫色の液が一滴落ち、三角フラスコの液が淡いピンクに色づく過マンガン酸カリウム滴定の水彩画
tsuzuku

見学したその日に、私はここで働くことを決めた。
就業は翌月、6月1日からだった。

作業服と日焼け止め

職場では作業服が貸与された。通勤や退勤のときに着ることはできなかったが、仕事のための服にお金がかからないのはありがたかった。

メイクをしないのは、高校生のとき以来だった。まったく抵抗がなかったかと言えば嘘になるが、3日もしないうちに慣れた。
朝は、日焼け止めを塗るだけになった。

その分、日焼けには気をつけるようになった。通勤のときは日傘をさし、日除けの手袋もつけて、徹底して日差しを避けた。

職場はほとんどが男性だったが、コンプライアンスの指導が行き届いていて、変な絡まれ方をすることもなかった。みな気さくで、親切だった。

勤務は8時30分から17時まで。シフト制ではない日勤で、休みはカレンダー通りの完全週休2日制だった。休憩時間もきっちり取れた。

残業は基本的になく、数ヶ月に一度、分析装置のトラブルで30分から1時間ほど残るくらいだった。
生活のリズムを、整えることができた。

最後に勤めた図書館での3年間で、私はストレスで体重が増えていた。それが、夜はしっかり眠り、食事をきちんととるようになり、仕事が楽しくなっていくうちに、いつのまにか6キロ減っていた。

環境の変化は、辛くなかった。

誰とも話さない一日

指導担当の社員以外とは、一日ほとんど誰とも話さなかった。

こんな仕事は初めてだった。学校図書館でも公共図書館でも、人と接しない日はなかったからだ。

でも、寂しいとは思わなかった。
物足りないとも思わなかった。

静かな時間の中で、私はじっくりと自分の気持ちや考えと向き合うことができた。

作業ではなく、仕事を

指導担当についてくれたのは、私より一回り年上の男性社員だった。

本当に誠実な人だった。いつ辞めるかもわからない派遣社員の私に、とても丁寧に仕事を教えてくれた。

前職の話になり、図書館で司書をしていたと話すと珍しがられたが、それも最初だけで、それ以上詮索されることはなかった。分け隔てなく接してくれる、心地のいい関係だった。

彼は、私が興味を持ったというだけの理由で、たくさんのことを教えてくれた。化学分析の基礎と考え方、たくさんの試薬のこと、分析装置のメンテナンス。失敗も、たくさんさせてもらった。

日本の半導体業界のことも教えてくれた。半導体そのものを作る力はなくても、素材の分野では日本が世界のシェアをとっているのだと。この会社が製造している薬品も、世界シェア一位なのだと。

彼は作業ではなく、仕事を教えてくれた。
私は、一人前に育ててもらった。

目に見えないものを扱う

指導担当のすすめで、危険物取扱者の資格も取った。仕事で扱う薬品に関係する資格だった。
勉強するのは、とても楽しかった。

毎日が本当に楽しくて、私はみるみるうちに仕事を覚えていった。社内認定もすべて取り終え、1年経たないうちに、すべての分析装置を使えるようになっていた。
こんなに早く認定を取った人は、正社員でも過去にいなかったと驚かれた。

時給も上がり、月の収入は契約時より3万円増えた。

目に見えない元素を扱う楽しさ。
科学の楽しさ。

分析の仕事で一番楽しかったのは、「なぜ」を考えることだった。
分析したサンプルが規格の濃度に入らなかったとき、原因は何だったのか? 仮説を立てて、それを一つずつ検証していく。こつこつと積み重ねていくその作業が、私は好きだった。

文系か理系かといえば、図書館は間違いなく文系だろう。まったくの畑違いの仕事だった。それでも私には、この仕事への適性があった。

働き始めて1ヶ月も経たないうちに、私は化学分析の仕事が大好きになっていた。
司書と同じくらい、好きだった。

一生のうちに、こんなに好きになれる仕事に二つも出会えるなんて、奇跡だと思った。
しかも二つ目は、自分では選ばなかった仕事だ。

予定外

困った。
楽しすぎて。

派遣社員は、あくまでとりあえずのつなぎのはずだった。1年で辞めるつもりでいた。

それなのに、ずっとここにいたいと思ってしまっていた。
この仕事を続けたいと、思ってしまっていた。

でも、派遣社員は同じ部署で3年しか働けない。

気づけば私はまた、図書館で働いていたころと同じように、3年後のことに不安を覚えるようになっていた。

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