40歳、二度目の転職活動
派遣の更新は3ヶ月ごとだった。
次の職場が決まるまでの1年だけ、と決めていたはずだった。それなのに転職活動もしないまま、居心地のよさに任せて、半年、1年、2年とあっという間に時間が過ぎていった。
当初の目的は正社員になることだったはずだ。
けれど一度転職に失敗したことで、私は臆病になっていた。現状維持バイアスが強くなっていたのだと思う。
それでも、毎日は穏やかで充実していた。
まるで人生2度目のモラトリアムのようだった。弱っていた体と心が回復するには、十分な時間と環境だった。
2年目からは家計の改善にも取り組み始め、蓄財への意識も高まっていった。これからの生活のこと、お金のこと、自分の生き方のことを、少しずつ考えるようになっていた。
無期雇用の話
派遣社員になって2年半を迎えようとする頃、派遣会社から無期雇用の話をもらった。
派遣先も私を気に入ってくれていて、このままいてくれると助かる、ということだった。
ありがたい話だと思った。
けれど、今回は即決できなかった。
好きな仕事ではあった。それでも派遣社員は非正規雇用で、3年という上限がある。
来年の雇用がどうなるのか、不安を抱えながら働き続けるのはもう嫌だった。
時給で暮らすということ
経済面でも、非正規雇用はやはり厳しかった。
その一つが時給制であることだった。祝日が多い月は、そのぶん収入が減る。休みの日を手放しで喜べない。
健康なうちはいい。けれど、大きな病気や事故で長く療養することになれば、年休だけでは対応しきれない。
手取りの金額では、蓄財どころではなかった。
地方ではまだ車が必需品で、ボーナスのない収入から維持費を払うのは厳しく、蓄財など夢のまた夢だった。
この職場でずっと働き続けられる保証もなかった。今は仕事があるからいいけれど、人員整理になれば真っ先に調整弁になるのは非正規雇用だ。
無期雇用なら、この職場を切られても次を探してくれるという。けれど、その代わりに自分で仕事を選ぶことはできなくなる。
年をとるにつれて、選べる仕事がどんどん少なくなっていくのもわかりきっていた。今の健康状態のまま、年を重ねられるわけではない。
2022年頃から、物価の上昇も続いていた。派遣社員の時給の上がり幅は、インフレ率に負けていた。
今はなんとか生活が成り立っているだけで、足元は今にも崩れそうだった。
目先の安心に飛びつくわけにはいかなかった。
残り20年
派遣社員を始めて2年半、私は40歳になっていた。
司書時代も含めると、21歳から40歳までの20年間、私は好きな仕事を非正規雇用で続けてきたことになる。
好きな仕事だからという理由だけで非正規を続けることのデメリットを、私はもう知っていた。
好きなことを仕事にしたのが間違いだったとも、失敗だったとも思わない。
好きでなければ続けられないものがある。
ただ、好きなだけでは続けられないこともある。想いだけでは、どうにもならないことがあるのだ。
お金がすべてではない。けれど、お金で解決できることはたくさんある。
そして、正社員であれ非正規であれ、どんな仕事も続けられなければ意味がないことも、心身の健康を損ねては本末転倒であることも。
60歳まで働けると仮定して、残りは20年。
その時間の中で、何を優先させるべきか。私はどう生きたいのか。
司書を辞めてからの2年半で、私は新しい価値観を手に入れていた。
私は、人生の岐路に立っていた。
書き出した条件
私は2度目の転職活動を始めた。
3年の満了まではまだ半年以上あったが、辞めるのなら余裕を持って辞めたかった。
司書を辞めると決めたときより、気持ちにはずっと余裕があった。
あのときと違ったのは、働く条件が自分の中で具体的に決まっていたことだ。
- 好きよりも、まず適性があって続けられる仕事
- 正社員
- 介護、飲食、小売など、感情労働が発生しそうな仕事には応募しない
- 今住んでいるアパートが気に入っているので、引っ越してまでは転職しない
- 通勤時間は片道30分、長くても40分
- 日勤のみ。夜勤はしない
- 週休二日制(原則土日祝日が休み)
- 必要な手取り額から逆算した基本給(生活費に加えて、毎月3万円を貯蓄や投資に回せること)
- 見込み残業代なし
- 賞与3ヶ月分以上
- 昇給あり
できれば半導体業界で、しかも検査業務だといい。
さらに言えば、制服があって、駐車場が無料ならなおいい。
本人の能力や努力はもちろんだが、どの業界で働くかがどれほど大事なのかを、この2年で思い知った。
求人票を見比べていると、同じ製造の仕事でも、業界によって条件がまったく違った。
食品は給与も雇用条件も賞与も低めの傾向があり、化学薬品やインフラ関係、半導体関係は高かった。
半導体業界に生産の波があることは理解している。それでも、成長産業であることは間違いない。
一度覚えたことをひたすらルーティンで続けるより、できるだけ試行錯誤の生まれる作業がしたかった。
こうして書き出すと、条件はかなり狭い。
そんなに都合よく、自分の求める条件に合う仕事が、自分の求めるタイミングで見つかるものだろうか。
それが、見つかった。
つくづく運がよかったとしか思えない。
市内にある中小企業で、大手メーカーの協力会社だった。
業務内容は、半導体製造装置の組み立てと品質検査だった。
面接で聞かれたこと
12月中旬に求人に応募すると、その日のうちに返信がきた。
年齢不問、未経験可とあったが、書類審査は通ったようだった。
採用試験は適性検査と面接だった。
面接官は一人。ある課の課長の男性だった。
絶対に聞かれると思っていた質問は、やはり聞かれた。
「どうして図書館業界から製造業に?」
心底不思議そうだった。
私は正直に話した。
ずっと非正規で司書を続けてきたけれど、採用試験に落ちたこと。
思いもしない形で司書の道は終わったけれど、ずっと続けることへの不安もあったこと。
落ちたことは初めこそショックだったけれど、別の仕事を経験する、新しい20年を迎えるよい機会だと捉え直したこと。
派遣社員として就いた分析検査の仕事が、とても楽しくて好きで、適性もあったこと。
自分では選べなかった仕事に偶然出会って、製造業や半導体業界を知ったこと。
それでも非正規のままでは経済的に不安で、長く続けるには正社員になるしかないと、転職活動を再開したこと。
扱う製品は違っても、分析検査での経験を、半導体製造装置の組み立てや品質検査で活かしたいこと。
出来事への意味づけ
面接官は、うなずきながら私の話を聞いてくれた。
そのあと、自分の話をしてくれた。
自分も今の会社には、初めは派遣社員として入ったのだという。
「きっかけは案外、身近に落ちているものですよね」
「司書の採用試験が不採用だったという出来事に、そういう意味づけをされたんですね」
出来事に対する、意味づけ。
面接でこんな話ができるとは思っていなかった。
少し驚いたけれど、嬉しくもあった。
そう、そうなのだ。
あの不採用の夜、私はその現実に、自分で新しい意味をつけたのだ。
その後の面接は話も弾み、終始リラックスした雰囲気で終わった。
翌日、採用内定のメールが届いていた。
私は2年半勤めた派遣先の化学分析の仕事を、年内いっぱいで卒業することになった。
